薮くんとカモナイマイハウス
このブログのタイトルに薮くんと入っているのに
ひとつも薮くんの記事のないまま数年が経過している。
今日は、薮くんを好きだった7年の日々について書こうと思う。
まずは薮くんを好きになったきっかけから。
ボーイソプラノが好きなのである。
ウィーン少年合唱団というよりも、
マイケルジャクソンのようにポップスを歌う少年が好きなのだ。
中学の時にFolderの三浦大地に惚れた。
当時小3だった気がする三浦大地。
語ると長くなってしまうのだが、
とにかくあの歌声と揺れる黒髪とたれ目に衝撃を受けた。
声変わり前のあの甲高いボーイソプラノが
ぱらしゅーたー
と、かわいく、かつものすごく色っぽく歌うのである。
ということで、出会った二人目のボーイソプラノが
だったという話だ。
薮くんと赤間くんが歌っていた、勇気100%。
それを初めて聞いておかしくなったアラサーの私は
14歳の薮くんに一気に落ちていったのだ。
(当時実際の薮くんはとっくにHey!Say!JUMPであり、22歳だった)
あの歌声と揺れる黒髪とたれ目の再来。
そこから1年間、
ジャニーズJr. だったころの薮くんの面影を追いかけ続けた。
現実の薮宏太においついたのは
JOHNNYS' World感謝祭の東京ドーム。
生身の薮くんを見て、さらに落ちていった。
そして全国へJUMPなどのコンサートに行ってるうちに、
カモナマイハウスという曲が発表されたのである。
Come On A My House
天下の馬飼野康二先生が作曲したこの曲は、
本当にキャッチ―だったし、バーモンドカレーのCMにも使われて、
ジャニーズをよく知らない人でも「聞いたことある」と言ってくれるほど。
Hey!Say!JUMPの第二章が始まったという感じがする、
一番大好きな曲だ。
ちなみに現在のJUMPは、Fab! -Music speaks.-くらいから
第三章に入ってると思う。
私が共に歩んだJUMP第二章が、
ちょうど7年くらいだったんだろう。
カモナマイハウスの振りを覚え、ヤンヤンJUMPの収録へ行き、
ラッキーなことにHey!Say!BEST5人に会えて、つーこさんという人を知った。
収録前は、知らない中国人の男の子に話しかけられ、
一緒に動画を見て振りを復習した。
ジャニーズJr. の子達が電車で帰るのをファンが追いかけたりして
マネージャーと思わしき男性に注意されたり、
ほう、これがジャニーズか、と思ったものである。
バーモンドカレーのバーコードで
JUMPのカレーパーティが当たるというキャンペーンがあり
カレーを大量に購入したり。
横浜アリーナの復活当選の席で、
薮くんにタッチしてもらったことを社内報に書いたり、
ジャニーズショップで写真を買ったり、
コンサートチケットの当選結果にドキドキしたり、
音楽番組を逃さないように録画したり、
9ぷぅのやぶんぶんに会えた京セラドームで涙したり、
黄緑のものを買ったり、
好きの原動力ってすごいし、その分たくさん幸せももらった。
同居人化し、理解のない元夫と続けられたのは
Hey!Say!JUMPの力が大きい。
それくらい7年の中で薮くんの存在に助けられた。
推しがいるって本当に素敵なことだ。